祈りのもとで 脱同性愛運動がもたらしたもの

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この映画は脱・同性愛運動と、そこで行われている転向療法(Conversion Therapy)について描かれたドキュメンタリーです。転向療法とは、LGBTQをストレートに変えようと試みる拷問です。

 

さて本作では、脱・同性愛運動のリーダーがLGBTQである者に焦点を当てました。リーダーだった一人は「私は(転向しても)同性に興味が無いフリをして行動を変えただけで、私自身は何も変わっていなかった」と告白しています。

 

しかし、自分の魂をすり減らしてまで転向した彼らは、転向しないLGBTQを攻撃し始めます。それは、教会を中心にした社会に対し踏み絵を踏んで見せる行為であり、時にそれは称賛され広告塔としても利用されたのです。結果、更なる転向療法の実施を招いて多くのLGBTQを傷つけ、時には死に追いやってしまいました。脱・同性愛団体理事長との直接対決で、元メンバーの発した言葉が胸に突き刺さります。

 

「何人もの子供達が命を絶ちました。どんなに努力をしても『まだ足りない』と言われ、『そのままでは(生命として)美しくない』と言われ続けました。」

 

先の対決では、批判する側もされる側も涙する姿は悲劇以外のなにものでもありません。それでもまだ、米国において過半数の州で未成年に対する転向療法は合法です。「同性愛は病気で治すことができる」という米国文化に根差す信念(belief)が変わらない限り悲劇は繰り返されると言って本作は終わります。

 

私は80年代後半にテネシー州に1年間交換留学生として滞在した経験があります。当時のDeep Southでの景色は正にこの映画のとおりでした。実際、クラスメートの女の子から、教会が発行していた転向療法のパンフレットを貰いましたしね。大学自体は裕福でリベラルな私立大学だったのですが、そこで学ぶ人の中には保守的な学生も多かったし、全米の傾向としてもまだまだゲイを社会が受け入れる時代ではありませんでした。

 

あれから30年ほどの月日が流れていますが、Neflixの「コルトン・アンダーウッドのカミングアウト」では、米国社会が大きく変わった面と、まだまだである面の双方が見て取れます。元NFL選手で敬虔なカトリック教徒でもあるコルトンのカミングアウトには、正に血の滲むような経験が映し出されていて涙なしには視れませんでした。

 

それでも、30年前では望むべくもなかった家族や幼馴染からのサポート、同じ境遇の者たちとのネットワークづくりなど明るい材料も数多く示されていました。本作品とあわせて観ると、この問題を多面的に考える切欠になると思います。